その夜、大分、遅く。
…ぴんぽーん…。
申し訳なさげに鳴ったチャイムは、しんとした家に響き渡った。
だが、返事はない。ひんやりとした空気が、少し動いただけで。
「…愛珠、ちゃん?」
小さな声が扉越しに響いて。
「愛珠!いるんだろ!開けろっ!」
それにかぶるように、大きな声が響いて。
どたどたどたっ!
その声に、唐突に足音が響いた。
そうして、ばたんっ!と勢いよく扉が開く。
「愛沙…」
言いながら、現れたのは、桃色の髪も鮮やかな少女。
緑色の目が、千草を見て、一瞬大きくなる。
「あれぇ、ちーちゃん、どしたの…」
そうして泳いだ視線が、彼の背中の影にはっと丸くなった。
「愛沙ちゃんっ!」
「あ、愛珠ちゃん…ただいま」
その声に、愛珠はむぅっと頬を膨らませた。
「ただいま、じゃないよっ!こんなに遅くまで連絡もなくて!
心配してたんだからねっ!」
「あ、ご、ごめん…」
申し訳なさげに、愛沙はうつむいた。ここまで怒ってるなんて、きっと予想してな
かったのだろう。
何だか気の毒になって。
「あー、ほら、そんなに怒るなよ。無事だったわけだし、な?」
つい、口を挟んでしまって。
「もー!ちーちゃんは黙ってて!」
怒られてしまった。
「もー、だってさぁ、ちまたじゃロリコンがうろうろしてるから気を付けろって、
ほら、四季兄ちゃんも言ってたじゃん!だからさぁ、そいつに
攫われたんじゃとか思って!すっごい心配したんだからっ!」
「…ごめん、なさい」
「…」
愛沙は素直に頭を下げた。うん、わかってる。
愛珠ちゃんが怒るのも、当然だわ。
その態度に、むぅっと膨れていた頬が徐々にしぼんで。
…もう…、わかったよ。愛珠はそれだけ言って笑った。
「無事に帰ってきたから、良しとしましょう」
「愛珠ちゃん…」
「で、別件だけど…」
言って、愛珠はふふ、と笑った。悪戯っぽく、2人の目を見上げた。
「どうして、お2人さん、一緒にお買い物?」
「!」
愛沙は一気に真っ赤になった。千草はその反応に驚いた。
「ど、どーだっていいでしょ、内緒よ、内緒」
えー、なんでよぉ。むくれる愛珠はそのままに、
愛沙はそのまま、家の中に入っていく。
残されたのは、愛珠と千草。
「…あ、じゃ俺、帰るから」
「だーめ」
行きかけた千草の袖を、愛珠はきゅっとつかんだ。
千草は目をまん丸にして愛珠を見た。
さすが双子、行動が似ていると思いながら。
愛珠は人差し指を立てて、茶目っ気たっぷりにウィンクしてみせた。
「愛沙ちゃんを無事にエスコートしてくれたお礼として、
愛珠ちゃん特別ティーを淹れてあげましょう!」
「いいよ、遠慮しとくよ」
「だー、め!はい、入った入った」
「うわああぁ…」
中に入って聞こえたのは、愛珠の感嘆の声だった。
その背中からひょこっと顔を出すと、なるほど、こういうことかと妙に納得する。
白いテーブルクロスの上、たくさんの料理と花に囲まれて、
例のケーキが乗っていた。
カスタードクリームで綺麗に飾り付けられたスポンジの上に、
例のラズベリーが、例のゼリービーンズを周りに従えて。
湯気を立てる薄い蒼のカップには、例のシナモンスティックが添えられていて。
「わぁぁ、どうしたのこれ?すごいじゃん!」
「うふふ、驚いた?」
愛沙は出てきた。制服も着替えず、
その上にエプロンを羽織るような形で、それで手を拭きながら。
「驚いたよぉ、どうしたの、これ?」
「今日はね、特別な日だから、頑張っちゃいました」
ちろ、と舌を出して笑う。さ、入って。
凛とした声に、誘われるように、2人は腰を掛ける。
料理のいい匂いが鼻孔をくすぐって。つい、腹の虫が騒いで。
「特別な、日?」
千草が聞くと、愛沙は微笑んで頷いた。
「そうよ、だって、愛珠ちゃんが一等賞だったから」
それと同時に、愛珠は手を打つ。あぁ、あのこと?
何のことかわからない千草はただ
きょとんと双子の顔を見比べるだけ。
「愛珠ちゃんがね、持久走大会で一等賞を取りました」
にこにこしながら言う愛沙。ようやく合点がいって、千草も手を打った。
「そりゃ、めでたいな」
「そうでしょ?」
さ、パーティしましょ。
愛沙の声に、待ちかねたように、愛珠は蒼のカップに口を付けた。